人類は金曜日がお好き。

アメコミ映画の感想とか何か思い付いたら

【MoM】『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』ネタバレ感想

こんにちは。カイロ蓮と申します。

FC2ブログで映画の感想を書いたりしていたのですが、2019年に『アベンジャーズ/エンドゲーム』の感想を書いて以来パッタリ更新が途絶え、過去記事がなんだか恥ずかしくなって逃げるようにはてブに来ました。

これを書いたらまた更新しなくなるかもしれませんが、兎にも角にも『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』の感想を3年ぶりに自分の言葉にしたくなったので、ここに書き残しておきます。

以下はネタバレを含んだ感想です。
喜んでいたり、褒めてはいなかったりします。


「自分でメスを握っていないと気が済まない人」

 ストレンジに対するクリスティーンのこの言葉にドキリとした人もそこそこいるのではないだろうか。かくいう私もそうだ。恐らくどの世界の私の耳にも痛い言葉だと思う。

ストレンジは元より(自分を中心に)物事の指揮を執ることや「人を救う」ことへの強い志、類稀な探究心を持った人物ではあるものの、こと我々においても当てはまる事があるとすれば、歳を重ねるにつれ経験則や思い込みによって、「これぐらいなら自分でなんとかできる」と何でも抱え込もうとしたり、それが最善なのだと自分の中の『正しさ』を信じて疑わなくなるところだ。

「そんな奴おらんやろ…」と思ったあなた、あなたのその感覚は大切にしてください。でも、いるんです。少なくとも私は↑こういう奴です。
30歳にもなって↑自分こういう奴になったな、と最近ようやく思い至りました。結論から言うと治ってないし毎日何かとやらかしては反省して性懲りも無くまた同じ事をやらかすのを一生繰り返してます。治んね〜。


魔術師が読むとどんな魔物も撃退できるようになる『ヴィシャンティの書』を前に、アメリカ・チャベスの能力ないし命を「コントロール」しようとしたストレンジ。

打倒サノスへの執念から、禁断の書(ダークホールド)に手を出し、一人で突き進んだ結果、次元同士が衝突して大惨事となるインカージョンを引き起こして次元ごと消滅させたストレンジ。

クリスティーンと結ばれず、別次元で彼女と『幸せになる』自分を探した(そして恐らく強大な敵にも太刀打ちできなかった)ストレンジ。

そして、タイムストーンを使っていくつもの未来を見て、誰に結末を伝えるでもなく『唯一の道』を背負ったストレンジ。

どの彼も、自分の中の確固たる「正しさ」をもって行動を起こしたものだ。

元同僚のウエストも5年間塵となっていた間、大事な家族を亡くしていた。「考えると眠れなくなることがある。本当にこれしか方法はなかったのか」と直接ストレンジに問うシーンは、式場の明るさとは裏腹に重い一言のように思える。
頭ではストレンジを責めるのはお門違いであると感じていながらも「でも彼女を手にできなかった」と添えたウエストの言葉は、世界の命運をメス同様にその手に握った彼へのせめてもの意趣返しだった。

(かつてトニーもナターシャの怒りを買って「1秒でもそのエゴを抑えられないのか」と罵られていたっけ。)


 それにしてもひとつ目のシュ…ガルガントスが外で騒ぎを起こした時に咄嗟にバルコニーから飛び降りる時のストレンジの所作、笑っちゃうぐらいかっこよかったね。偶然(?)近場で居合わせたとはいえ守護神感あって良いよね。

初登場のアメリカ・チャベスはまだ能力を自分の意志で使いこなせない年端もない少女。この役を掴み取ったソーチー・ゴメス、まだ16歳になったばかりなんですね。
シュ…ガルガントスに限らず劇中ずっと追われる身で大変災難ではあるんだけど、周りの大人が彼女を一人きりにはしないので、作り手を信頼できるのがまた良い所。

ストレンジにおいてはスパイダーマンに続きまたも青少年の“メンター役”となった形だが、ストレンジへの信頼というよりベネディクト・カンバーバッチへの信頼とも言えるのではないだろうか。(彼がその役割に相応しいのは間違いないだろう)

ストレンジが前夜に見た「自分に似た誰かが少女と追われる夢」は「別の次元の自分の出来事」だとチャベスは言う。

そんなんこれから自分がどんな夢を見ても「別の次元の自分かぁ…」って思っちゃうじゃん!!!定期的に見る、『高校1年まで暮らしたマンションのベランダに出たら、向かいのマンションに隕石が落ちて「あっ 終わった」と察する』あの夢も別の自分にとっては現実なんですか!?ヤダー!インカージョンかコンバージェンス起きてるじゃん!ヤダー!

シュ…ガルガントスに刻まれていたルーン文字が魔女の仕業であると察した(ウォンと)ストレンジは、“魔女”の心当たりであるワンダ・マキシモフの元を訪ねる。


 ディズニー+配信ドラマ『ワンダヴィジョン』を経て一人で日々を送るワンダ。亡き人となった愛するヴィジョン、創り出した双子は彼女の現実から消え、最後は誰もいない場所で再スタートをきった…かのように見えた彼女が、本作では初っ端から「サノスを倒したアベンジャーズの一員」の人気者にはとても返り咲けそうもない、『ダークホールドに魅入られた恐ろしい魔女』スカーレット・ウィッチとして本作最大のヴィランである事が明かされる。

MCUにおいての彼女は、故郷は紛争地帯となって早くに両親を亡くし、(彼女が魔女として目覚めるのは必然だったとはいえ) HYDRAの実験台となって能力を利用されたり、人を信じようとした矢先にその強大な力を危険視され追われる身となり、愛する人との日々をやっと手に入れたかと思えば…前述のような道を辿ることになるのが彼女であってーーー…ってさぁ、改めて書き出すと何この情報量、多ッ!!?!何ッ!!?おかしくない!!?

誰もが送れているはず(だとワンダが思っている、彼女が望む)『幸せな人生』は、彼女がどんなに望んでも手に入らない対局の位置にある。しかし別の次元の自分ですら、紆余曲折あれどその人生を手にしている。
そしてダークホールドに取り憑かれ、遂に良心/理性を切り捨てて、どの次元の子ども達にも自身の目や手が届くように多次元を支配することを目論むようになってしまうのだった。

この展開そのものがかなりショッキングというか、弟のピエトロ、最愛のパートナーであるヴィジョンを失っただけでもファンとしても十二分にキツかった所を、更にドラマでは子ども達も失って尚、希望は無いにせよ彼女なりにケリを付けて前に進めるようになった…と思った矢先の恐怖の権化となる展開は、あまりにもあんまりでは…。

家族愛や、母親の愛を過激に見せるのは簡単だ。そこは安易な道に走ったなと半ば呆れというか…諦めに近いものもある。
(スコット・デリクソンの監督降板、ドラマやMoMの脚本の練り直し、そしてサム・ライミ監督起用によってなんらか軌道が変わったのは確かなようだけど、何がどう変わったのかは不明なので何も言うまい)
こと2022年において「家族あるいは何らかの共同体に属すること」への示し方には、もっと慎重になる必要性を率直に感じた。

先に結末までの展開のことを書くと、ストレンジには彼が心から信頼のおけるクリスティーンやウォンら、愛する人や仲間達がいる。
そして今作の主人公である616アースのストレンジ自身が、(他のストレンジ達とは異なり)その周囲の人達と手を取り合う事ができる、或いは「助けてほしい」と助けを求め、弱みを見せる事ができる人物であるからこそ、「いつも正しい場所にポータルを繋いでいた」チャベスが、彼の元へとやってきたと言えるだろう。

しかしサノスとの決戦やウエストビューでの一件以来、ワンダ・マキシモフの周りには、文字通り誰もいなくなってしまった。彼女が求めるモノを満たしてくれる人も、支えや叱りの言葉を届ける人もいなくなっていた。
たった一人で、孤独感を募らせた彼女がダークホールドを介して別の次元の自分を垣間見るうち、彼女が思う『幸せ』を(この次元の)自分だけが得られないのは「不公平じゃない?」と捻じ曲がった考えを抱くに至るプロセス自体に矛盾はないとも思う。

いやしかしそれにしたって辛過ぎるでしょ。彼女を一人きりにしたのはこれまでのMCUにおけるプロットでしょう、流石に。
愛する誰かの死でしかワンダが力に覚醒できない…なんてことはなかったんじゃないのか??と。(結果論でしかないけど…)
(5/15追記)
今後ワンダがMCUのストーリーに登場するかどうかは手腕にかかっているとはいえ、少なくとも次に出てくることがあれば、彼女は大きな咎(とが)を背負っているのかと思うと、気が重い…。

おいそこのモヒカンの弓使い!!!クリスマスは割と大変だったのは分かるけど、シビルウォーの宣伝時に「ワンダの保護者」って書かれてたアンタがせめて電話ぐらい入れてやれよ!!!せめて矢文とか入れろ!!!


…という不満というか哀しみはあれど、
バキバキのホラー映画力(ぢから)がヤバくて超〜〜〜好きなんですよねこの映画。
サム・ライミ、映画撮るのうめ〜〜〜!!!
楽しぃい〜〜〜!!!

ここ15年分ぐらいの有名なホラーをほんのちょっと観てるぐらいで洋・邦ホラー映画通でもサム・ライミ監督ファンという訳でもないので、具体的にこのシーンはまるで◯◯…この演出がどう…などと語ることは全然できません。
が、ホラー映画って画面が綺麗過ぎちゃうと興醒めするものだと思っていたら、レーザーIMAXの美麗な大画面で観てもちゃんと「これぞホラー映画の画角!そしてライティング!」と唸らせられ、闇堕ちした容赦のない魔女の活かし方として最適解(のひとつ)だったのではと、愉しくなっちゃってます。
エンタメはこれだからやめらんねぇ。それはそれとして矢文ぐらい入れろ。

ワンダが背後からマインドコントロールするところも超グッと来ちゃったね。
以前は自分が背後にまわって力を直に送っていたけれど、心の一瞬の隙を突いて語りかけてくるようになったのは彼女がより力を増していることを示す魅せ方としては勿論、『味方サイドのキャラクターだったらやらない芸当』感がすごい。

今回ストレンジの魔法は『What if...?』を想起するクリーチャーが出て来ることが多かったけれど、ビギナー感のある前作以降、数々の映画に出てくる度に新しい魔法を惜し気なく披露してくれるので、(同じことの繰り替えしじゃ制作側の怠慢にも取られるので当たり前なんだけど、)ストレンジが自身の力量を過信することなく日々新しい魔法を試しては自分のものにするため鍛錬を積むことを惜しまない努力型の人である事も分かる。
ペッツの頭みたいなのが車をガブーッ!てしていくところが好きです。


 838アースに迷い込んだストレンジとチャベス。モルドの存在はぶっちゃけ忘れてたんですが、イジョフォー氏の覇気のある小物ムーブがうま過ぎて今回ちょい役に終わったのが勿体無さあったよね。
838アースでは建造物などを華やかな彩りで植物が飾り立てていたのに対して、人々の服装や世界全体の色調がかなり控えめな中、この世界のクリスティーンは髪色やリップの色が一際鮮やかだったのが印象深い。

そして私はというと、MCUが提示してくる「オラっ!お前らこういうの好きやろッ!」と言わんばかりのサプライズにちゃんと喜ぶタイプなので、『イルミナティ』として出てきたあれこれにちゃんと驚いて、ハルクにぶん回されたロキばりのか細い声を上げていました。両隣のお兄さん達、ビックリさせてたらごめんね。
初見鑑賞直後のふせったーでの叫びは以下をご覧ください。

 ジョン・クラシンスキの参加はだいぶ熱いんじゃないでしょうか。じゃあ妻となるスー・ストームは…?🥺と期待しちゃうよね。
(もちろんどなたでも大歓迎ではあるけれど、パートナーとなる人との年齢差が結構あるとウーンと思ってしまうので、個人的には歳の差が大きくない方が好ましいですね)

MARVELは兼ねてからこれまで登場してきたMCUキャラクターの中ではワンダが最強だと回答してきたけれど、「キャプテン・マーベルの方が上では?」との声も多かったので、今回で明確に「ほぉらワンダが最強だよ〜!」と見せつけられましたね。ラシャーナ・リンチのキャプテン・マーベルで敗北するならもう誰も勝てねぇよ。
(5/15追記)
838アースは「赤信号が進め」であるように、616アースとは反対である要素が多く見受けられましたね。616アースではヴィラン側であったウルトロン(ビル・)バクスター研究所、そしてモルド。
そして「超人血清を受けたのはスティーブ・ロジャースではなくペギー・カーターだった」「キャプテン・マーベルとなったのはキャロルではなくマリア・ランボーだった」世界と、それぞれの選択がそうさせた、というべきだろうか。

プロフェッサーがワンダの意識へと介入した時、幼少期のソコヴィア戦時下での恐怖心が色濃く残る瓦礫の下で、恐らくは良心と理性を携えていたワンダが囚われの身となっているところ、ホント辛い。
ウルトロンの心臓を抉り出す彼女も、我が子を追い求めるのも全てひっくるめて彼女をたらしめている要素ではあるけど、それが幼い頃の壮絶な経験に由来するものだと思うと尚の事しんどい…。

そうそう突然のダイマなんだけど、ディズニーストアオンラインの【D-Made】キャプテン・カーターiPhoneケースを使ってるのですが、この類めっちゃ良いですよ。
コンクリートにも何度か落としてるんですがケースの塗装は流石にちょっとハゲてはいるものの、ストレンジ達が捉えられていた箱と同じポリカーボネート性で割れてはいないし、iPhoneは画面共々未だ無傷です。まぁコンクリートに落とさないのが一番なんですけどもね。

shopdisney.disney.co.jp

最後の最後の話しちゃうけど、シャーリーズ・セロンのクレアにはホントにおったまげちゃった。ダークディメンションの至高の魔術師(ソーサラー・シュプリーム)の名に異議なし…!っょぃ…!


 ダークホールドの消滅により、弟子の命の危機に晒されたウォンは選択を迫られ、禁断の書のコピー元であり悪霊クトーンが刻んだ呪文が残るワンダゴア山へと向かう。
“スカーレット・ウィッチ”を崇める総本山だったこの場所が、宇宙の支配者、破壊者となり得る魔女の凱旋を待ち望んでいたのだ。こわやこわや。

一度は失敗したドリームウォークで838アースのワンダの体を乗っ取り、ストレンジ達を追い詰める。イルミナティの面々は「魔女のドリームウォークごとき」とかなりワンダのパワーを侮っていたけれど『838アースの”スカーレット・ウィッチ”は脅威ではない』と認識してたのかしらね。

838アースのストレンジが打倒サノスの為とはいえ、他イルミナティのメンバーに相談もなく独断でダークホールドに手を付けてしまったことで、イルミナティ達に「どの世界のストレンジにもその性質がある」と見做される。まぁ…多分それはそう…。
(サノスが襲ってきた所までは一緒だったけど、838アースにインフィニティ・ストーンそのものが無かったりするのかな)
(5/15追記)4回目見てたら、胸にデカい破片だかボルトだかがぶっ刺さってるサノスの左手にちゃんとインフィニティ・ストーンがはまったガントレットが装着されていたので、ドラマ『ロキ』でガラクタ同然に大量に存在していると描かれていた通り、インフィニティ・ストーン自体は838アースでもちゃんと存在してましたね。
ストレンジがタイムストーンをどれだけ駆使しても、838アースでは打倒サノスへの道を見つけることができなかった、と考える方が自然かもしれない。その違いとは、トニー・スタークの存在なのかもね。

大暴れするワンダを止めに入った面々を尻目に、プロフェッサーXは「この者に(ヴィシャンティの書ないし世界を救うのを)託してみよう。道に迷っても彷徨い続けるわけじゃない」とストレンジを後押しする。
ワンダを含め、どれだけ境遇や性格が似通った個体でも、少しの心持ちの違いや選択肢、環境によって得られる結果が異なるのも、また理(ことわり)であることを暗に示していた。


 ワンダによって更に別の宇宙へと吹き飛ばされた先で、もう一人の自分と対峙することになったストレンジ。
(公式ではSinister Strangeって言われてるみたいですね)
その世界は既にインカージョンにより宇宙が崩壊しようとしていた。その要因はまさに(ここでも)もう一人のストレンジであった。
ただ冒頭でも書いたように、彼はクリスティーンを探し渡ることだけにダークホールドを利用したのではなく、サノスとも異なる強大な存在と対峙していたことが窺える。

ストレンジは世界が崩壊して尚ダークホールドを手放そうとしないもう一人の自分と決闘しはじめた…
と思ったら急に長調vs短調クラシック演奏バトル(物理)が始まって度肝抜かれちゃった。キャラクター性に合わせてカックイ〜曲が流れるだけに留まらず、ホントに音符で殴るとは思わないじゃん。教養が試されるわぁ。

ヴィシャンティの書は燃え、もう一人の自分を倒して、元の宇宙に戻れない彼に残された道は禁断の書 ダークホールドただ一つ。
クリスティーンはまたダークホールドを使おうとしているストレンジを見て一瞬怒りを覚えるものの、彼が素直に「君の助けが必要だ」と口にしたことで共に行動を起こす決意を固める。

 そんでもってゾンビ・ストレンジもかっこ良過ぎんか〜〜〜!!?コミックのマーベル・ゾンビーズを踏襲して『What If...?』でも出てきたゾンビヒーローが実写でも嗜めるなんてやっぱりめっちゃ贅沢だよ…好き…。

ドリームウォークでは死体の利用は禁じられているとして、“呪われた者たち”がストレンジ蝕んでいく。しかしその傍にいるクリスティーンが(またしても)物理で呪われた者たちを撃退し、ストレンジに「あなたは魔術の師、相手は悪霊。利用するのよ」と語りかける。アドバイスが的確過ぎる。

(ボムガリアスの火鉢って、前作でまだ使い方を理解してないストレンジがカエシリウスに投げつけてなかったっけ?使い方知ってるクリスティーンかっくいい)
彼女の言葉通り悪霊達をモノにしてワンダゴア山まで滑空し、ワンダのパワーを相殺したりと大活躍していた悪霊くん達、3回も観たらだいぶ愛着わいちゃったよ。

パワーで圧倒的に差があるワンダを抑えられないことを悟り、ウォンはチャベスの力を奪うようストレンジに迫り、チャベスは「私のパワーを奪いにきたの?(あなたなら)いいよ」と半ば諦めにも似た笑みを浮かべるが、ストレンジの答えはノーだった。

「もっと自分に自信を持てと言いに来た」
「ポータルを開く度、いつも正しい場所に導いていた」
「最初があるから、今があるんだ」

チャベスに告げる。

チャベスは幼少の頃にはじめてパワーを発動して両親と離れ離れになって以来、癒えぬ後悔を抱えてずっと様々な宇宙を一人で渡り歩いてきた。
恐怖を感じないと力が発動できなかったのは、必要に迫られれば道を選択することはできても、自分の意志で新たな一歩を踏み出すことへの恐れもあったのかもしれない。

そしてチャベスは新たな一歩を踏み出し、チャベスはワンダを力強く殴りつけ、最終的に838アースの(ドリームウォークで操っていた)マキシモフ邸へとコネクトする。

 “チャベスの首を絞める母親に似た誰か”が突然目の前に現れ取り乱すワンダの子ども達、ビリーとトミー。
自分を拒絶し遠ざかろうとする子ども達を追うと、838アースのワンダに縋ろうとするところを見て逆上し、彼らの母親を投げ飛ばしたことでビリーとトミーは震え上がっていた。

「絶対にぶったりしない」
「誰も傷付けたりしないから」
「私はモンスターじゃない」

と矢継ぎ早に子ども達に告げるワンダだが、ここに至るまでの道のりで彼女は本当に誰も傷付けなかっただろうか?極め付けはビリーとトミーの視線の先にいる、倒れ込んでいる『彼らの母親』であるワンダだった。

(これも、もうちょっとなんとかならんかったのかと心底思うけど)
ワンダにとってはどの宇宙の子ども達も『My Child(自分の子)』だが、「(どこかの次元の子ども達を愛するとして)その(次元の)母親はどうなる?」とウォンに指摘された時、彼女は答えられなかった。その答えはもう一人の彼女が横たわっている時点で、結果は明らかだろう。そして何より自分を見て震え上がっているビリーとトミーにとっての母親が誰であるかは明白だ。

「失ったものを取り戻すため」に一連の行動を起こしてきたが、「自分が彼らを愛せるか」ばかり過信して、当の子ども達がどう思うかにまで考えが至っていなかったのだ。否、姿形が同じであれば、子ども達も自分を母親と認識するはず…とも考えていたかもしれない。
だが自身の行動が、”何事にも代え難い家族”を目の前にして全て過ちであったことに気付く。

838アースのワンダは、自身を利用し襲われた立場だが、その場で泣き崩れたもう一人の自分と対峙する。

「私が愛します」

この瞬間にワンダは幸運にも、『「愛する人を全て失う運命にある自分」を丸ごと受け止められる』、真に求めていた答えを知る“自分”に出会えたのだ。
(5/15追記)
あの……私、お恥ずかしながら英語のリスニング能力及び読み書き、つまり英語への理解が皆無なのと、字幕上映でしか観ていなかったのも相まってかとんでもない思い違いをしていたんですけども。
"Now they can be loved."と言っているんですね、838アースのワンダ。で、吹替は「彼らを愛すると誓う」と言ってるらしいじゃないですか。
……もしかしてもしかしなくても、これは字面通り「(私の)子ども達は私が愛する」という意味ですね?あの、重ねて恥ずかしながら4回目の鑑賞をした時点でようやく本来制作が意図していたであろう意味を汲み取りました。おせ~~~。

既にこの記事を読んでくださっていた方、申し訳ありませんでした。↑は私の妄想がかなり織り交ぜられた超解釈です。何言ってんだコイツともお思いだったかと存じますが、何も言わないでいてくれてありがとうございました。(コメント書き込めない設定なので、書きたくても書けなかったわな…)

838アースのワンダは(身体的にも、恐らく介入が解けたあと家路につく際心理的にも)散々痛めつけられたにも関わらず、自分の知らない自分の姿で目の前で崩れ落ちるように泣き腫らす自分を見て、力での解決ではなく、敢えてたった一言の言葉を届けたその姿に、想いを馳せずにはいられない。
選ぶ道や宇宙のちがいによって、あらゆる選択が異なったことで同じ道を辿らなかったために本当の意味で(我々の知るワンダの感情に)寄り添うことはできずとも、『私』に送り届けるべき言葉を、ワンダよく知っていた。

ここまでの理解はできるようにはなったけど未だに↑の超解釈が好きだし、自分の超解釈によって得られた初回鑑賞時の感動も偽りではないので、今後も彼女の子ども達同様に愛し抜きたいと思います。

ワンダの手によってダークホールドによる環が閉じられ、ストレンジとクリスティーンは静寂の中で互いの想いを打ち明ける。

「愛することも愛されることも面倒なわけじゃない。恐いんだよ」
「恐れと向き合って」

いつだって、最大の恐怖は『自分と向き合う』ことなのかもしれない。私自身も歳を重ねて経験を経るごとに自身の一面を垣間見ては、蓋をして逃げてしまうこともしばしばある。ネガティブな自分をひた隠しにして「(自分の欲だけを満たす)本来あるべき正しさ」の理想を並べ立ててしまうことも多い。

孤独を募らせると誰のアドバイスを得られないまま自身の核心に触れることも忌避した結果、耳障りの良い言葉だけが自分の中で反復し、危うさを伴う思考の道へと走ってしまうことも残念ながら現代社会では少なくない。

自身が抱くステレオタイプ固執した思想に対し、その価値観を揺さぶる誰かや何かの声を見聞きできる機会を得ることも重要だ。
どんな困難があろうとすべてを自罰的に受け止めたり、他人などの外に要因を求めるばかりではなく、自分で自分のことを労り慈み(自己肯定)、過去を背負いながら前を向くことが、大人になった私たちが『自分と向き合う』ことの第一歩ではないだろうか。



 この2年はMCUに限らずあらゆる物語を消化する気力にいまいち欠けていたのですが(原因:Covidがもたらした社会全体の閉塞感&完全社畜化)、ある種の無念さも胸に抱きつつ、ここまでの文章を残す気にさせてくれた『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』に拍手を贈りたいです。

ディズニー+のドラマやアニメもあるけどこっちはまぁまぁマイペースに気分が乗り次第観るぐらいの気持ちにして、次は『ソー ラブ&サンダー』を(予告の陽気さとは裏腹な)激重感情で臨みたいと思います!!!adiós!!!